由緒

当社は、古くは現在地より南方に位置する棚尾村に
「源氏神明宮」として祀られており、
現在地には一六二二年(元和八年)に遷され、
以降この中山の地区の守り神として
護持崇敬されております。
桜の名所として名高く、
春になると境内の桜 約一五〇本が一斉に咲き、
花見客で境内が賑わいます。


御祭神
豊宇氣毘賣神 
(とようけひめのみこと)
天津日子根命 
(あまつひこねのみこと)
天火明命   
(あめのほあかりのみこと)

起源は古く、およそ900年前の頃にさかのぼる
平治元年(1159)、平治の乱で平清盛に敗れた源義朝(源頼朝の父)が、知多の野間の旧臣である長田忠致(おさだただむね)を頼った際、忠致は平家の恩賞にあずかろうと義朝を裏切って殺した(野間の辺)。
この義朝謀殺に反対していた忠致の兄 親致(ちかむね)は、この事件により自分の身が危うくなり大浜郷棚尾に隠れ住んだ(一説には、忠致の二歳の孫をその乳母の里である棚尾に逃がした)。その時持参したのが、源家の重宝「髯切(ひげきり)」と称する短刀で、名剣というので屋敷の隅に小さな祠を造営してここに納め、これを源氏神明宮と称し祀っていた。

現在地への遷座を経て
時が過ぎ、元和八年(1622)、庄屋役の生田新左ヱ門宗義は神霊夢想によりこの祠を三河西尾藩藩主から許しを得て中山の字稲野(現在地)に一宇を建立して遷座した。その後は古老や村人たちと心を合わせて、国土の安泰、農工商の繁栄、氏子の守護を祈願し奉斎されてきた。
明治五年(1872)、社名を神明宮より神明社と改称される。
旧社格は村社。春になると境内の桜が一斉に咲き、桜の名所として知られる。

鎮座400年の佳節~ 氏子・崇敬者と共に力を合わせて
令和4年には、大神様がこの地に鎮座してより400年という大変目出度き節目を迎えました。
鎮座400年を奉祝し、社殿の塗替えや錺金具の修繕を始め、神楽殿の増築、祭礼時に氏子中を練り歩くチャラボコの山車の改修、屋内外のトイレの改修等を行い、麗しく整えられたばかりです。
今後も、皆様の心のよりどころとなるべく、一層の発展を祈るところです。